ぱぱの背中

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『ぱぱの背中』の背中

長男の6歳の誕生日に、その日のことを思い出してみる。

今日は、長男の誕生日です。もう6歳になってしまいました。本当に早いもんです。「光陰矢のごとし」とかも言います。

この「光陰矢のごとし」ってぇのが、どんな意味かってぇ申しますとぉ…まぁ、光陰ってぇものは、矢のようなもんだと、まぁそんなことみたいですねぇ。

そんなこんなで、あの日のことを、憶えている限りで。

予定日一ヶ月前ぐらいからかみさんは実家に帰っていて、土日だけかみさんの実家に飯を食いに行くというそんな生活をしていた1999年8月29日日曜日のことでした。「昼ぐらいから、ちょっとおなかが痛いんだ」「食べすぎかな?」とかみさんが言うのを、特に気にせずpeteramは自宅に戻りました。当時入っていたプロジェクトはちょうど最終局面。さっさと酒でも呑んで寝るか…と気楽な気持ちで。

時計が深夜零時を過ぎたころでしょうか、かみさんの実家から電話が入ったのは。「生まれます!」さっきおなかが痛いといっていたのは、食べすぎとかではなく陣痛だったらしい。「すぐ来てくれ。」

はっきりとは憶えていなんですが、午前一時ごろ産院着。義母が痛がるかみさんについてくれています。陣痛の痛みを和らげるには、背中をさするのが良いらしい。peteramも義母に代わってかみさんの背中をさするんですが、全然ダメ。「そうぢゃない!違う!」怒られっぱなしです。

時々痛みが引くのか、かみさんが座ったまま眠り始めたりします。で、陣痛が復活してまた起きて痛がる。繰り返しているうちに朝を迎えてしまいました。しっかりとした朝食が出ます。「力つけなきゃだめだから、ちゃんと食べて。」と院長の奥さん。残さず食べるかみさん。

どういうタイミングだったか憶えていないんですが、かみさんが分娩室へ移動しました。義母と二人で病室(?)で待つことに。

何時間待ったか良く憶えていません。やがて泣き声が聞こえてきます。生まれたんだ…と思っていると、あっという間に産着にくるまれた赤ん坊が病室にやってきます。母親のベッドの横に子供用のベッドがあって(この時もってきたのかな?)、そこに寝かされます。義母がいる手前か、恥ずかしいやら何やらで、まともに自分の子供の顔を見なかったような気がします。

看護士に促されて、分娩室にかみさんを迎えに行くことになりました。行ってみると、かみさんは分娩台で休んでいました。でさらに看護士に促されて、恥ずかしがるかみさんを分娩台から抱きかかえて降ろします(今だったらもうできませんが)。

かみさんは病室に戻ると、先に我が子が戻っているのにびっくりしてます。母子同室であることは知っていたんですが、先に部屋にいるとは聞かされてなかったんでしょうね。保育器も何にも無し。素のままで寝かされている自分の子供の顔を面白そうに見つめてます。

間もなく何かの用で義母が部屋を出たときだったと思います。かみさんがpeteramに「これでいいんだよね」と子供の名前を確認します。そもそも出産まで性別も教えてくれない産院だったので、男性と女、両方の名前を考えていたんですが、その男性バージョンです。「うん」とpeteram。

かみさんが改めてベッドに寝ている子供の顔を見つめて、その名前で呼びかけます。続けて「お母さんですよ」と。

母親になったことを宣言するかみさんが、誇らしげに思えたものでした。

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