ぱぱの背中

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落語(江戸前)

「志ん朝の落語」を読むと言うこと(その1の1)

2018/08/17

「後悔先に立たず」とはよく言ったもので、志ん朝の高座を見ていないことが悔やまれてなりません。

存命だったころ、名実ともに古典落語の第一人者だったはずなんですが、油断があったんですね。いつでも見にいけるつもりでいたんですよ。

もっとも、志ん朝の高座はなかなかチケットが手に入らないと言う噂も手伝って、ついつい入手する努力を怠っていたと言うのが正直なところ。物惜しみする性格が、ここでも災いしたことは言うまでもありません。

「志ん朝を見たい」と思うようになったのは、かれこれ20年ほど前のこと。当時は、地元(志ん朝の地元でもありpeteramの地元でもありましたが)の300人劇場で、「志ん朝の会」とか「志ん朝七夜」とか言うイベントが催されていたんで、とにかくそれに行ってみたかったんです。でも、すでに幕が開いてからぢゃ、遅いんですよね、古今亭志ん朝のチケットを獲るのは。名実ともに古典落語の第一人者だったわけで、チケット入手が困難だという噂はずいぶんと広まっていましたから。

で、時が流れて2001年のことです、訃報が流れたのは。その時peteramを襲った感情は、悲しみとか、惜しい人を亡くしたとか、そういった感情ではなかったんですね。ただ、空虚が襲ってきたんです。まだ見ていない憧れの対象が、憧れのまま終わってしまっただけ。見に行かなかった自分の愚かさを悔やむだけでした。

で、いまさら志ん朝なわけです。さすがに十分中年と呼ばれる年回りになってくると、いろいろ過去の自分を振り返ったりするわけですが、そんな中で、まず決着をつけなければと思ったのが、古今亭志ん朝だったわけです。

ということで、簡単に三代目古今亭志ん朝について。

本名
美濃部強次(みのべきょうじ)
生年~没年
昭和13年~平成13年
出身地
東京都本郷区駒込神明町
学歴
千駄木小学校卒業
文京第九中学校卒業
独協高校卒業
芸暦
昭和32年入門(朝太)
昭和34年二ツ目
昭和37年真打(志ん朝襲名)
その他
父:五代目古今亭志ん生
兄:十代目金原亭馬生

志ん朝を意識するきっかけになったのが、peteramが小学生のころの父親の一言。「俺は文京九中の出身で、志ん朝も、小朝も同じだ」。

今思えば、かわいそうな発言。つまらない見栄っ張りなんです。世間が狭すぎるので。少なくとも、ptereamも志ん朝とは同じ小学校出身なわけですから。そんなことにも気づかないで、息子に自慢話をしてしまうような人でしたが、当時のpeteramはそれに痛く感銘を受けたのでした。しばらくの間はそれが心の中の最大の自慢話でしたから。実際のところpeteramの住んでいた地域では、世の父親達はほとんどみんな文京九中の出身でしたから、全く自慢にはならなかったのですが。

でまぁ、そんなpeteramが歳をとって、ほんの二月ほど前に書店で出会ったのが、志ん朝の落語 全6巻だったのでした。

つづく…(はず)

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